「ロザリア」中編
 先に帰っていて良い、と連れの女性に言い、予想以上にあっさりと青年は着いてきた。怯える様子も、逆上する様子もない。
「そう素直だと、こちらが不安になりますね」
「自信もないのに、人を泥棒呼ばわりしないことだな」
「ほう。盗っていないと言いたいのですか」
 先を歩いていた青年を止め、アルシドが店のドアに手をかける。
「万引き犯に背中見せたら逃げられちまうぜ?」
「逃げる気があるならここまで付いて来ないでしょう。きっとこの先はトラップがしかけられて居るでしょうからね」
 ニコリと微笑むサングラスの下。目は笑っていない。
 キ、と蝶番の軋む音がした。ドアを開いて真っ先にウォースラの拳が飛んでくる。
「ほら、この通り」
 ウエーブがかった黒髪が数本、パラパラと散った。
「なぜ避ける!」
「普通避けるでしょう。私、殴られる様なことはしていないつもりですが」
「盗人を庇ったではないか!」
「盗人って――貴方、いつの時代の人ですか。警察はどうしました?」
「まだ呼んではいない。殴れなくなってしまうからな」
 こめかみに青筋を浮かべ、ギリギリと睨みつける。
 これでは幾ら肝の座った青年とはいえ、驚いて店に入ってくれないのでは。一瞬そう思ったが、なんてことなく、青年は逆にツカツカと臆することなくウォースラの前まで歩いて行った。
「殴った後も、呼ばない方が良いぜ。この店が潰れる」
 にやりと唇の端を持ち上げて、目を細める。大胆不敵。その言葉がしっくりと嵌る。アルシドはふうむと鼻を鳴らした。
 最初は若者らしくすまし顔で平静を装っているだけかと思ったが、そうではないのか。完全に頭の血管一本プチリと行ってしまったかの様なウォースラを前にして、まるで殴られるのを望んでいる言っているような行動だ。
(こいつが白だった場合、罪はこっちに、ねぇ)
 盗んだのは事実だったとしても、今ここに商品がなければ、警察に突き出すことはできない。連れの女性に持たせたか、アルシドの目を盗んで雑踏に投げ捨てたか。
(または、本当に盗んでいない)
 何にせよ、青年が虚勢を張っているのでないとすれば、今不利なのはこちらだ。大事になれば、青年の言うとおり店の経営にも危険が及ぶかも知れない。
「どうやら本当にこちらの勘違いだったようですね」
 取りあえずこの場は引いておくのが無難だ、が。
「何を言っているアルシド! コイツは確かに!」
「待てウォースラ!」
 瞬間の動きよりもいち早く止めに入ったが遅かった。鳩尾にウォースラの一撃を受けて、青年は壁に背を打ち付け、体内から咳き込む。
「ああ……」
 アルシドは手の平に額を預けて項垂れた。昔からウォースラにこの手の駆け引きは通じない。
 助け起こそうと駆け寄るが、それよりも早く青年が身体を起こす。
「なあ、アルシド……だったか? そっちの鼻息荒いオッサンは、俺を犯人と思い込んでるみたいだな。ああ、いや、アンタもか」
「いいえ。そういう訳では――」
 店の窓は、小さい。
 恐らく外からは見えていないだろう。チラリとそれを確認をしたのは、アルシドだけだ。
 青年は立ち上がると同時に、乱暴にシャツを脱ぎ捨てた。
「どこに隠し持ってるって? なんなら下も脱いでみせるか?」
 ベルトに手をかける。そこに、迷いは見られない。
 クッと喉を鳴らすウォースラを手で下がらせ、アルシドは床に落ちたシャツを拾い上げて丁寧に埃を払った。
「お名前を聞いても?」
 深く辞儀をしてシャツを渡す。
「バルフレア。慰謝料は、アンタのデザインで」
 青年はニヤリと満足気に微笑み、自分の右中指をさした。