recipe 7
 開店時間十五分前に着いたが、店のドアには鍵がかかっていなかった。
「なんだ来てたのか。珍しい」
 薄手のシャツを脱ぎながら、バルフレアがスタッフルームに言った。露出を好まないバルフレアは、夏でも袖の長い服を羽織っている。奥のドアに向けてシャツを放ると、向こう側から指が伸びてヒラリとそれを受け止めた。
「これでも私は店長でして。大事なお店の様子を見に来たんですよ」
「俺が遅刻しないか見張りに来ただけだろ」
 バルフレアが不機嫌に言うと、アルシドは声を出して笑い、受け止めたシャツを丁寧に開いてハンガーに掛けた。
「それも確かにありますが。今日は貴方に渡すものがありましてね」
 踊るように歩き、カウンターの下から紙袋をひとつ取り出した。それまでそっぽを向いていたバルフレアだが、見慣れた高級感のある白い紙袋が目に入ると、露骨に興味を向けてアルシドの前に寄った。
「新作か?」
「ええ。まずはどのお客様よりも早く、貴方に」
 紳士的態度で差し出すアルシドの言葉の終わりを待たずに、バルフレアが紙袋を引っ手繰る。アルシドは特に気に留めた様子もなく、寧ろ嬉しそうに、紙袋を開けるバルフレアを眺めてフフと笑った。
「お気に召すと良いのですが」
 中から出てきたのは少しゴツ目の指輪だった。そのブランドはバッグや小物ばかりが評価されている。けれどもデザイナー兼社長のアルシドは、年に数度しか新作を発表しない男性向けのシルバーアクセサリーこそメインだと自称していた。
「もう少し直線的な方が俺好みだ」
 言う割にバルフレアは早速その指輪を空いている指にはめ、様々な角度から光を滑らせている。少々時代遅れとも感じられるどっしりとしたフォルム。バルフレアはそれをうっとりと眺め、まるで似合わない上品な紙袋をゴミ箱に投げ入れた。
「おや。それも一応私のデザインしたものなのですが」
「誰がデザインしたかなんてどうでも良い。気に入るかどうかだろ」
「……そうですね」
 胸元に入れた物を出すか隠すか悩んでしまったのは、生みだした物に注がれる恍惚の眼差しを少しでも長く味わいたかったからだ。咳程の間を空けて、アルシドは胸の内ポケットからくたびれた封筒を取り出した。
「なんだよ」
 バルフレアは差し出された封筒に眉を顰め、促されるままにそれを受け取る。糊づけされていなかったから、中身はすぐに確認できた。映画のチケットが一枚。バルフレアはあからさまに嫌悪を表に出してアルシドを見る。
「いかねーよ。これはもうとっくに観た」
「ヘーゼルのマスターからです」
「……なに」
 チケットを突っ返しかけていた指がピタリと止まった。バルフレアは歪ませていた眉を弓状につり上げ、小皺のついたチケットに視線を落とした。
(疑わしい、な)
 ちらりと上目遣いでアルシドの表情を窺う。先日の台詞を約束として言ったつもりがない上、それをすっかり忘れてしまっているバルフレアには、ヘーゼルの店主が自分に映画のチケットを渡す理由が分からない。
「なんでこれをアンタが?」
「何をおっしゃいますか。私はあそこのクッキーが大好物でして。貴方が通い始める何年も前からのファンなんですよ」
「別に通ってねえよ」
「そうですか。では連日の遅刻は単なる寝坊ということで」
 言いながら、アルシドはどこからともなく小さな包みを出し、中からクッキーをひとつ摘んで頬張った。
「……」
 包みに見覚えがあったから、バルフレアは何も言えなくなってしまう。先日ヘーゼルの店主から貰ったものだ。フンと不機嫌に鼻を鳴らし、チケットをパンツのポケットに押し込む。
「あの人からなら嫌がらないんですね。一度観た映画でも」
「アンタ以外なら誰でも嫌がらない」
「おや、手厳しい」
 アルシドは大袈裟に驚いた仕草をして見せ、もうひとつ、胸の内ポケットから取り出した。小さなメッセージカードだ。そこにすらすらと文字を書き込み、バルフレアの手に押し付けて握らせる。
「おつかいをお願いできますかね」
 カードには『オリジナルクッキー×三つ』と書かれている。バルフレアは小さく舌打ちをし、握ったカードをゴミ箱に捨てた。
「アンタが行け」
「では、お願いは取り下げましょう。今日の最初の仕事です。買って来なさい」
 バルフレアはもう一度、今度は大きく舌打ちをし、ハンガーにかかったシャツを乱暴に羽織った。