recipe 2
「一体どうしたよ、マスター」
 呆れたような声に、店主はビクリと振り返った。すいかを丁寧に磨きながら、八百屋のレダスが覗き込んでいる。
「いや」
 突っ込みを入れられるのも当然だろう。店を出て通りをきょろきょろと見渡し、また店内に戻って行く。それをもう五度も繰り返しているのだ。
 店主はバツが悪そうにはにかみながら、いやはやと頭を掻いた。
「昨日、常連のお客様にお釣りを渡し忘れてしまってな」
 ふむ、と自慢のモミアゲを摩り、レダスが首を捻る。
「なるほどねえ。それで気になって仕方がない、と。お前らしいな」
 らしいといえばらしいが、どちらかと言うと、憧れのマドンナを待つ男子中学生だ。けれどもあえて口に出さない。女っ気がない男の恋路を見守るのなら、ひっそり決定的なシーンを見つけてからかいまくった方が楽しい。
「常連さんならだいたい同じ時間に来るだろ。落ち着いて店で待ってろ」
「そうだな。見苦しいところを――」
 言葉途中で、店に戻ろうとしていた店主の動作が一時停止する。レダスの後ろの通りをジっと凝視した後「じゃあ」と、心なしか忙しなく店の中へ消えていった。
「はて?」
 残されたレダスは自分の背後を見渡し首を傾げる。ぱっと目にはいるのは、マイ買い物袋を持った主婦と、子供を乗せた自転車、犬の散歩をする初老の男と、メインストリートのレコードショップでバイトをしている若い男だけだ。そういえばレコードショップの男はここの所ヘーゼルに通っているようだが、彼が店主のマドンナではないということはひと目で分かる。
(本当に釣りを忘れたのが気になっただけだったのかね)
 レダスはフムと鼻を鳴らし、前かけのポケットからタバコを取り出した。

 カランとドアベルが鳴る頃には、店主はいつものようにカウンターに戻り、いつものようにランチの仕込みをしていた。
「叔父様、あの方、見えましたよ」
「うむ」
 嬉々と報告されても、どんな風にリアクションをして良いのかわからない。店主は無駄にサンドウィッチに乗せるきゅうりの位置に気を配りながら、生返事を返す。そうこうしているうちにも、短髪の男はカウンターの店主を素通りし、いつもの席に腰を落ち着けた。間もなく呼び鈴が鳴り、パンネロがとたとたとオーダーを取りに向かった。
「今日は何になさいますか?」
「嬢ちゃんの好きな奴がいいね。……カフェモカだったか? それをひとつ頼むよ」
「は、はい、畏まりました」
 パーティションの向こうの会話に店主が聞き耳を立てる。若い男は余程キザで女タラシのようだ。流れるような口調から、社交上手な人柄なのだろう。深い意味があって声をかけて来たわけではなさそうだと思い、少しほっとする。それと同時に少し寂しい気がして、サンドウィッチのシーチキンを多めに乗せてやった。
「叔父様、カフェモカお願いします」
「ああ」
 何だか無意味に気まずい。店主はパンネロとも目を合わせられないまま、絶妙のタイミングで火からヤカンを取り上げる。甘い香りが店内に回り始めた頃、店主の視界に磨かれたトレイがニョキリと入りこんだ。
「お釣りを返して来るんですよね! 焼き立てのクッキーも」
「そうだな」
 冷静にそう返事をしたが、店主は賞状を壇上へ受け取りに行く学生のような心境だ。朝一番で焼いたクッキーと釣り銭をエプロンのポケットに詰め、カフェモカの乗ったトレイを持って若い男の席に向かった。