recipe 14
 一体何のDVDだろう。あの変態店長のことだから、どうせろくでもないものだろうけど。
 気にしている間に時間が過ぎた。
 スタッフは自分一人だから、好きな時に店を閉めて食事を摂る。されども本日は独断なんでも十円デー。客が途絶える頃にはすっかり昼時を過ぎてしまっていた。
 スタッフルームの奥にある、小さな冷蔵庫。そこに紙パックのコーヒーとヨーグルトが常備されている。横には適当な果物も。年頃の青年には味気ない昼食だが、コンビニ弁当はとっくにコンプリ済だから仕方ない。
(そういや、ランチやってるんだったよな)
 何の縁か何の因縁か。未だに通い詰める結果となったあの喫茶店を思い出した。短い昼休みにあそこまで足を伸ばす気はないが、一度食べてみたい気がする。モーニングはまあまあ美味しかった。
 しかし、何を思い出してみた所で、今目の前にあるのは、プレーンヨーグルトとリンゴ一つ。逆に虚しくなりそうで、バルフレアは丁寧に拭いた果実にそのまま歯を立てた。
 何となく視線を上げた先、小さな窓の向こうに、見慣れた人影が映る。壁に阻まれても同じスピードを保って目で追い、丁度ドアの前まで来た所でノックの音が聞こえた。鍵はかけていないが、一旦「CLOSE」の看板が掛けてある。
 何の用事だろうか。
 バルフレアはリンゴを持ったままドアに向かい、浅くドアを開いた。
「なに」
「ああ、良かった。休みなのかと思ってしまった」
 午前に見た金髪の男がそこにいた。
 チラと横目で商品の時計を確認する。三時ジャストだ。ランチタイムも落ち着いた頃だろうからバッシュも休憩時間か。
「入れよ。今、こっちも休憩」
「そうか。休み中に邪魔をして悪かったな」
「暇してた所だ」
 狭い店内にはスタッフ用のイスが一脚しかない。商品のラブソファを軽く顎で指すと、少し迷った後、バッシュはそこに腰をおろした。
「どうした。差入れでも持って来てくれたのか」
「あ、いや。気が利かなかったな。……今は間食の時間か?」
 手にある食べかけのリンゴを見つけ、楽しそうに微笑む。居酒屋でのバルフレアの大食いぶりを思い出したのだろう。
「おやつタイムじゃなくて昼飯だ。少し忙しかったから、今頃になった」
「昼食がそれだけなのか?」
「あとヨーグルト。スマートな俺に似合いのランチだろ」
「昨夜あれだけ食べておきながら良く言う」
「多少そういうギャップがあった方がモテんだよ」
「確かにそうかも知れないな。君の印象が変わった」
「……へーそりゃ何より」
 真顔で言うものだから、思わず返しが遅れた。どう変わったかは知らないが、表情から察する分に、良い方向と考えてまず間違いないだろう。
 まあ、今更だけれど。
 一か月前ならば嬉しいと感じたかも知れないが、今現在本当にそういう面でバッシュへの興味はない。
(伴侶アリの男にどうこうなんて不毛だしな)
 鑑賞用酒のつまみ兼食事をご馳走してくれる気良い男、といった感じか。
 カウンターの向こうにあるイスをソファの前までズルズルと引きずり、腰を落ち着けた。足を組むのは、異常に身長が伸び初めた中学生頃からの癖だ。長身の自分がこの動作をすると、やたら人目を引いてしまうことを、バルフレアは知っている。案の定バッシュは揃って脇に流れる足をぼっと見ていた。
 意識を上に直して貰う為、音を立ててリンゴを頬張る。
「で、わざわざこんなトコまで何の用事だ?」
「ああ、すっかり忘れてしまう所だった。店に忘れ物をしていないか?」
「……? 心当たりはない、が。物は何だ」
「ジッポだ。ダガーのモチーフが付いている」
 ありそうであまり見かけないダガー。バルフレア本人はとっくに忘れてしまっているが、アルシドが二十歳の誕生日にプレゼントしたものだ。
 バルフレアは一応パンツのポケットに触れてみて、重みがないことを確認してから、手の平を肩の高さに上げて見せた。挙手にも『ない』のジェスチャーにも見える。
 バッシュはほっと緩く息を吐きながら、細い眼の幅を更に狭くした。
「それは良かった。探しているのではと心配していたんだ」
「で?」
「ん?」
「ジッポは?」
「ああ。安心してくれ。店でちゃんと預かっているよ」
「……持って来ないか? 普通」
「――ハッ!」
 真剣に驚愕の表情をするものだから、危うくイスごと転げそうになった。そこをぐっと堪えて俯き、頭を抱える。、
「何が“はっ”だよ。アンタ真面目そうな顔して実はアホなんじゃねえのか?」
「す、すまない。一刻も早く安心して貰おうと……」
「わざわざそれを言いにここへ?」
「そうだ」
「……だったら電話を使えば良くないか?」
「――ハッ!」
「だーかーら! “はっ“じゃねーよ、あーもーアンタもうダメだ! アホ決定!」
「……まさか、この歳になってそう確定されるなどとは思っていなかった」
 ここでもまだバッシュは真顔だ。腕を組み、真剣に唸っている。
 怒る、呆れるを通り越して、笑えてきた。バルフレアは組んでいた足を解いて肩幅に広げ、前上半身を倒す。僅かに、ほんの僅かに、二人の距離が縮まった。交わる視線。バッシュがクンと息を飲んだ事になど、バルフレアは気づかない。
「奇跡としか言いようがないな。これまで生きてて、一度もそう言われなかったっつーのは」
「奇跡か」
 そこだけしみじみと繰り返したものだから、バルフレアは首を傾げる。
「何かご不満で?」
「いや。……さて、長居は失礼だな。お暇するとしよう」
 時計を見ると、三十分が経過していた。
 そんなに話したか。今から戻っても昼食は摂れないだろう。
 バルフレアはバッシュの動きを追うように立ち上がり、ドアまでは行かないにしても見送る姿勢を作る。
 ノブに手をかけた所で、思いだした様にバッシュが振り返った。 
「ああ、バルフレア。今夜は忙しいだろうか?」
「別に?」
「また食事に誘っても構わないか? ジッポを返したい」
「……変わってるって言われるだろ、アンタ」
「阿呆もそうだが、今日が初めてだ」
 困った様に頭を掻いて見せる。
 十以上歳が離れた同性に言われたら、不機嫌になってもおかしくない気がするが。普通なら。それとも、これも年上の余裕と言うものか。
 バルフレアはゆっくりとカウンターまで歩き、メモ帳にペンを走らせた。一枚千切って、二つに畳む。
「これ、俺の番号。休憩時間使ってここ来てちゃ、飯食う時間無くなるだろ。何かあった時はここに電話しろよ。風呂以外なら大体出る」
 差し出されたメモを開いて覗き、バッシュは怪訝そうに眉を顰めた。
「ケタが多い様だが」
「そりゃケータイだからな」
「そういうものか」
「……どこの時代の生まれだよ」
 もう何を言っていいのか分からなくなってしまった。突っ込み所は色々あったのだが。例えば『バルフレア“君”』と、呼ぶって言っていなかっただろうか、とか。
 じゃあまた後で、と手を振り、ドアがバッシュを消すのを見届ける。
 時計はもうじき四を指す。夕食まであと僅かだ。
 バルフレアは手付かずのヨーグルトを冷蔵庫の中にしまった。