recipe 13
 店に鍵がかかっていなかった。バルフレアは「またか」と溜息交じりにひとり呟き、幾らか重く感じられるドアを引いた。
「おはようございます」
 足を踏み入れるよりも先に言ってやる。
 カウンターの向こうの人影がくるりと振り向き、挨拶の代わりに手の平を肩の高さまで持ち上げた。良く見ると耳からノートパソコンにかけて細い線が伸びている。ヘッドフォンをつけているようだ。
 絡みつくねちっこい視線を完全に無視して、バルフレアはするりとスタッフルームに滑り込んだ。シャツをハンガーに掛けながら、壁一つ挟んだ向こう側の男に言う。
「ここの所連日この店に張り付いてんじゃねえか。てめぇの仕事はどうした。自慢の感性も真正の変態に侵されてとうとう廃業か」
「何をおっしゃりますか。私は私の仕事をしに来ているだけですよ。いつもバイトの子に任せっきりじゃ悪いですからねぇ」
「……聞こえてんじゃねえか」
「ええ。消音していますから」
 じゃあそれは何のためのヘッドフォンだ、と突っ込むのはやめておいた。相手にしたら面白がって調子に乗る。
「何を見ている? アダルトサイトか。それとも脱毛サイト?」
「おや、貴方から見た私の人物像ってそんなですか。失礼ですねえ」
 ヘッドフォンを置いてスタッフルームに入り込んできた。
 カットソーの下を通して上半身に制汗スプレーを吹きかけ、狭いから来るなと睨みつける。アルシドは構わずにバルフレアとの距離を縮め、横に掛っているストライプのシャツの袖を取った。指先で挟んでひらひらと遊ぶ。
「貴方こそ、朝からどちらへ行っていたんです?」
「バイト」
「ここに来る前です」
 ピタリと袖を止めて、もう片方の手で細い糸を摘み上げる。金に光る髪。見せつけるようにバルフレアの目の前を泳がせ、自分の鼻先に戻した。
「これは、ヘーゼルのマスターの匂いだ」
「……。変態だな。相変わらず」
「ああ、それはもしかして貴方なりの褒め言葉ですか」
「バカか」
 相手にしていられない、とネームプレートを下げる。元々はアクセサリーショップだったこの店。ドッグタグに名前を彫ったものだ。誰がどう見てもアクセサリーで、あまり名前を出している意味がない。
 スタッフルームは人ふたりが横並びにすれ違える程の広さがない。どけと目配せをすると、アルシドはにこりと含みのない笑顔を浮かべて、摘んだままの金髪を吹いて捨てた。
 嫌な表情だ。尋問でもする気か。どうせ逃げられないだろうから、ふうと溜息をひとつ吐いて、壁に背を預ける。
 アルシドはいい子ですねと笑みを深めた。
「よっぽどお熱なんですねえ。あの人に」
「別に」
「昨夜はどうだったんです? 寵愛を受けられましたか」
「るせえな。セクハラで訴えるぞ」
「誘ったら良いじゃないですか。貴方、お得意でしょう」
「なんで俺がそんな面倒なことをしなくちゃならない。残念ながら特別な感情は抱いちゃいねえよ」
「ほう? 本当に? じゃあ応じますか? 私がここでヨリを戻そうと言ったとしたら」
「それとこれとは別だ。アンタだってその気はないだろ」
「ええ。ありませんよ。今はね。どうせなら誰かのものになってからが良い」
「性格歪んでるな」
「沢山の選択肢の中から、貴方が私を選ぶ。想像しただけで堪らない」
「大した自信だ」
 鼻で笑ってやると同時に、店のドアが開いた。
「さて。社に戻るとしましょう」
 歌うように言い残し、踊るように店に戻り、そのままの流れで客に挨拶をする。少し間を置いてからバルフレアもその後を追った。
 客は女子高生二人だ。バルフレアを見るなりきゃと小さく悲鳴を上げた。どうせ学校でのネタ作りに来たのだろう。アルシドが見慣れないのか、ひそひそ話をしてはキャッキャと喜んでいる。
 何年か前はこんな店ではなかった。バルフレアは目を細めて店内にごちゃごちゃと置かれた商品を見回し、そっと肩を落とす。アルシドはそんなバルフレアの様子になど微塵も気付かぬ素振りでノートパソコンを閉じ、薄いCDケースを手渡した。
「これを、貴方に」
 ケースには何も書かれていない。バルフレアは「なに」と小さく首を傾げる。
「脱毛のノウハウとアダルトビデオ、どっちだと思いますか?」
「……。返す」
「そうおっしゃらずに。満足いただける内容だと思いますよ」
 バルフレアがゲンナリと顔を顰めると、アルシドは上機嫌に笑い、ひらひらと手を振りながら店を出て行った。朝からテンションを下げられた腹癒せに、バルフレアは今日一日、商品を全て十円で売ってやることにした。