recipe 12
「……早いな」
 明らかにいつもよりも一時間以上は早く訪れた客を、バッシュは驚いたように作業の手を止めて迎えた。バルフレアは少し居心地悪そうにしながらも、
「朝食もついでに。美味い飯をご馳走して貰うなら、少しは金落として行かねえと」
 とパーティションの向こうに座った。アルシドに遅刻を指摘され、バッシュにまた明日と言われ、迷った挙句にわざわざ家を早く出てヘーゼルに立ち寄った訳だが、そんな事情はらしくなさ過ぎて口に出せない。
 急に親しげなムードの二人に首を捻りながらも、パンネロはトレイにグラスを乗せてパタパタとバルフレアの席に向かった。
「おはようございます。今日のご注文はどうしますか?」
「ああ……そうだな」
 パンネロは、そういえば、と密かに頷く。バルフレアがメニューを見ている所をあまり見たことがない。
 バルフレアはマイペースに間を作り、パンネロが「あのう?」と声をかけそうになった頃、思い出したように口を開いた。
「俺に似合うコーヒーとブランチ。“叔父様”にそう伝えてくれ」
 パンネロがリアクションするよりも早く、間仕切りの向こうで派手な物音がした。続いてわざとらしい咳払いが聞こえて来る。バルフレアは、驚いて眼を丸くしているパンネロと顔を合わせて、くすくすと笑った。それからハニーブロンドにフと視線を留める。
「変えたんだな。良く似合ってる」
「え?」
 何を言われているのか分からず、パンネロはきょろきょろと左右に振り返ってバルフレアの振った話題の先を探した。
「髪」
 指を差したりはしない。バルフレアは笑いながら言い、自分の胸の辺りで髪に触れるジェスチャーをして見せた。
「やだっ」
 パンネロは口元を押さえて思わず声を上げる。違いと言えばただ一点。リボンの色を変えただけだで、朝はルンルンでつけていた本人でさえもすっかり忘れていたのだ。いつもは食器同志が重なる音や豆を挽く音が絶え間なく流れているのに、パーティションの向こう側がやけに静かだ。
「失礼。気に障ったか」
「い、いえ! そんな!」
「たまにアップも見たい」
「私、不器用なんです。猫っ毛だし、三つ編みしかできなくて」
「俺で良ければ」
「え?」
 パンネロの返答を待たず、バルフレアは少し背筋を伸ばして間仕切りに顔を向けた。
「注文は聞こえてんだろ? 聞き耳立ててないで早く作れよ」
 また強烈な物音がした。今度こそ割れたな、とバルフレアは喉の奥でこっそりと笑った。
「どうぞ、お姫様」
 椅子を引いてパンネロを座らせる。幸い休日はモーニングの客が少なく、他に人は居ない。
 パンネロがおずおずと椅子に腰を下ろすと、バルフレアは小さく鼻歌を口ずさみながら淡桃色のリボンを解いた。明るい色の髪が光を転がして広がる。
「ほ、他にお客さんが来ちゃうかも」
「そうしたらマスターが“うちのスタッフに何をしている”と怒って見せればいいさ。お譲ちゃんは走ってカウンターの向こうに逃げればいい」
 鼻歌の一部のように言う。その間にも長い指はパンネロの髪を襟足だけ残してトップで纏め上げ、ふわふわと緩いカーブに交えるようにリボンを結った。
「さあできた」
 パンネロが慌てて立ち上がるのと、バッシュがトレイを運んで来るのはほぼ同時だった。バッシュは切れ長の目をそれでも縦に広げて、イメージチェンジを終えたパンネロをしげしげと見る。
「驚いた。器用なものだな」
「褒める所が違うだろ」
「ああ、すまない。とても似合っている」
 二人にニコニコと見つめられ、パンネロは再び「やだっ」と顔を赤らめてカウンターの方に消えて行った。バッシュは微笑みながらそれを見守り、プレーンオムレツとフレンチトーストの皿をテーブルに置く。
「アンタも髪が長いな」
「ん?」
 パンネロの時とは明らかに違った。紳士はすっかりと悪戯な子供に入れ替わり、素早い動きで金髪に触れる。
「アンタの髪も弄ってやろうか」
「い、いや、私は」
 カップを落としそうになったのは、指輪のついたハンドモデルの様な手が、髪の束を分けて直接肌に触れたからだ。
「なに焦ってんだよ。冗談だ」
 些細なきっかけで蕾が開く。そこには理由も理屈もない。