recipe 11 |
バルフレアの希望で足を運んだのは、レコード店から駅とは逆方向に五分ほど行った所にある居酒屋だった。店主はレストランの予約を取ってしまっていたのだが、それは告げずに「君が行きたい所に」と頷いた。 店はアジアのリゾート地を彷彿とさせる造りで、けれども実際のそれ程派手でなく、落ち着いた暖色の照明が居心地の良い空間を作り出していた。 妙に重いしっかりとしたメニューをペラペラと捲り、バルフレアが手当たり次第に写真を指さす。店主はそれが少し微笑ましく思え、作務衣を来た店員に「その通りに」と相槌を打った。 「君は飲まないのか?」 ジョッキは一つかと問われ、店主がバルフレアに聞く。 「ああ、俺はいい」 バルフレアは興味がなさそうに手の平を店主に見せ、メニューを重ねて壁際のスタンドに立てかけた。 (意外だ) 思ったが口には出さなかった。 慣れない相手と二人きりで食事をする。自分から誘ってみたもののやはり居心地が悪く、店主はぎこちなく店内のインテリアを眺め、料理が運ばれるまでの間を埋められずにいた。 「何か話したらどうだ」 「そうだな。普段、この時間は何を?」 店主は基本的に聞き役に徹するタイプだ。だから会話の最初は大抵質問で入る。バルフレアは綺麗に畳んだおしぼりをテーブルに置き、店主の視線と自分のそれを重ねた。 「本を読んだり、音楽を聞いたりだ。普通だろ」 「……そうか」 ここでも店主は意外だと感じた。軽く女性に声をかける点から、遊び歩いている印象があったのだ。それとも、夜遊びを三十後半の男に語っても理解は得られないと思って、そんな風に答えたのだろうか。 店主の表情の変化に気づいたらしく、バルフレアはクスクスと笑って腰のポーチからシガレットケースを取り出した。 「毎日家と店の往復さ。寄り道するとすればアンタの店くらいだ。そんなに不満そうな顔をするな」 「い、いや、不満と感じたのではない」 「そうか? 俺はまたてっきり遊び仲間に入れてくれとでも言われるのかと思った」 フッとテーブルの下に向けて煙を吐き、けらけらと笑いだした。呆気に取られながらも、店主も合わせて笑顔を見せる。 キザで女好きというよりはジョークの多い性格のようだ。女性客や女性スタッフの多い店だが、バルフレアの目線は店主の顔から一時も離れない。店主にはそれに好感を持ち、料理が運ばれてからも次々に思いつく限りの話題を振った。 「あのバイトは長いのか?」 「ああ。そうだな。大学通いはじめた頃からだから、もう結構経つ」 「……さっきの黒髪店員は?」 聞いて良いものかと触れずおいたが、レコードショップを出てからずっと気になっていた。店主の問いに、バルフレアはなだらかな眉をクと持ち上げた。 「店員じゃなく店長の『アルシド』だ。あそこの店員は俺だけだしな」 煙草を口元に運んだ所で一旦言葉が途切れる。店主は眉を顰めて続きを待った。助けを求められたのだから、二人にそういう関係はないということだろう。相手が店の店長で、しかもバルフレアは何年もアルバイトを続けている。違和感だ。 関わりと言えばこの店に来てからの間しかないが、それだけでも、些細な仕草でバルフレアが無能ではないことは見てとれた。店主のジョッキが空けば目敏く気づいて、店員に追加オーダーの目配せをする。テーブルの端に置かれたおしぼりは度々使用されたが、毎度きっちりと畳んで元の場所に戻っていた。全体に気だるい印象があるから分かりにくいが、明らかに気配り上手だ。こういうタイプは十中八九面倒見が良い。 バルフレアは目を細めて店主の表情を眺め、煙草の先を灰皿に押し付けた。 「あれはふざけてただけだ。アンタが来るって知って、からかって遊んぶつもりだったんだろ」 「からかう? ……すまない、理解が難しい」 なぜ。誰を。目で疑問を投げたが、バルフレアはそれを軽く流し、止めていた箸を持ちなおした。 「理解されても困る。とにかくそういうことだ。弱みを握られて泣く泣く、なんて古風なモンじゃないから安心しろ。それよりそれ、食わないなら寄こせよ」 「あ、ああ」 言われて慌てて目の前の皿を差し出した。見ればテーブル全面を覆い隠していた料理は見事に皿だけの状態になっている。 バルフレアは差し出された魚を受け取ると、器用に骨を剥いで口いっぱいに頬張った。 「……君は見かけよりもよく食べるな」 しかも、美味しそうに食べる。驚いた顔で見守る店主に、バルフレアはのんびりと口の中のものを呑み込んでから、 「俺を食事に誘うのは給料日にした方が良いな。ああ、オーナーだからそれは関係がないのか?」 と子供のように笑った。 店主は、バルフレアが普段どんな顔で自分のいれたコーヒーを飲んでいるのだろうと、そればかりが気になり始め、パーティションの向こうの彼を思った。。 「さて、そろそろ帰らないとまずいか。奥さんが待ってるだろ」 ナプキンで口元を拭き、バルフレアがシガレットケースをポーチにしまう。 「ああ、もうそんなに時間が経つのか」 店主の頭を愛猫が過った。確かにそろそろお腹を空かせる時間だ。伝票を取り、バルフレアに小さく会釈をする。 「楽しかったよ。迷惑でなければ、また」 「叔父様の小遣いを食いつくさない程度にな」 呼び名は相変わらずパンネロの口調を真似たそれだ。タイミング悪く女性客が横を通り、違和感たっぷりに二度見されてしまう。 「そ、その呼び方は止めてくれないか。誤解を招きかねない」 バルフレアは最初きょとんと目を丸めていたが、間もなく腹を抱えて笑い始めた。 「確かにな。何て呼べばいい?」 「バッシュ、という名だ。呼び捨てで構わない」 ああ、わかった、と流れで返事をする。しかし名前の音を噛みしめた頃か、バルフレアはピタリと笑いを止めてバッシュの顔をまじまじと見た。 「……アンタ、どこかで……」 「ん?」 バッシュは首を傾げた。どこかで会った気はしないが、そもそも人覚えが悪いから忘れているだけなのかも知れない。黙って待っていると、バルフレアは左右に首を振った。 「気のせいか。俺の名前、まだだったな」 「いや、君の名前は知っている」 「ぁん?」 「自信がなかったから呼ばずにおいたが、店員が君だけと聞いてはっきりした」 不在の時に店を訪ねた時、確かあのアルシドという男が言っていた。 バルフレアは心底不思議そうに眉を顰め、バッシュの言葉を待っている。 「なんてことはない。君の店の店長に聞いたのだ。バルフレア君、だろう?」 聞くなり噴き出し、また腹を抱えて笑いだす。 「“君”か! あはは、気持ち悪いな!」 「む……? おかしいだろうか」 「いやいや、それで良い」 良いと言いながらもまだ笑い続けるものだからバッシュは懸命に他の呼び方を考えたが、特に何も思い浮かばず存分に笑って貰うことにした。 「じゃあ、また明日」 返事はなかったが、バルフレアはニと唇の端を持ち上げて小さくバッシュに手を振った。 |