Dog tag


 ベッドに横たわり、毛布を頭まで被っても、店主は眠りにつくことができなかった。
 一枚目の切り抜きを眺め、低く唸る。
 事故によって視力を失った盲目の男は、職をなくして、かつての仲間である若者の前へ現れた。この記事を発見した時は、そんな風に思っていた。しかし。
 二枚目の記事を取り出し、葉巻に火をつける。煙を吸い込むと、葉巻の頭は橙色の玉を持ち、モノクロの紙面を温かく照らした。
 何度見ても変わらない。バルコニーに写っているのは、盲目の男であり、盲目の男ではない。
外見は全く同じなのだが、鎧を纏った男の眼差しは、目がみえていない人間のものだとは到底思えない。加えて、帝都からこの街に来るには、チョコボを使っても二日間の時を要する。帝都の写真に写ったその夜中に、店主の店へやって来るなんて、不可能だ。
 やはり盲目の男は偽物なのだろうか。だが、何の為に。
 出口のないループダンジョンに迷い込んだ様だ。店主は立ち止まり、他の通路を探し始める。
 若者の視点から見たらどうだろう。
 若者は、三年もの間、定期的に新聞記事をチェックしていた。かつての仲間は、今、どんな生活をしているだろう。元気でやっているだろうか。そんな思いを抱えていたのだろう。
 ある日、訓練事故の記事が目に留まった。怪我を負ったジャッジの本名は、記載されていない。
 いつも通りクールに振る舞っていたが、若者は、胸の底で仲間の無事を祈っていただろう。だって三年だ。三年も、その幸福を願い続けていたのだ。
 盲目の男が姿を現した時、どんな気分だったのだろうか。
生きていて良かった。目が見えなくなってしまったのか? 他に怪我はないのか? 生きていて良かった。
 けれど言葉は。
『どうしてここへ』
 直接スピーカーを置かれた様に、頭で蘇った。瞬間、店主はハッと息を呑む。
 そうだ。どうして。
大切な所を見落としていた。盲目の男の『理由』だ。
 盲目の男が偽物だったとして、彼に視力がないことには、何か意味があるのか。本物と思われるジャッジの目は、恐らく今も正しく機能しているというのに、偽物は何故、目が見えない。
 考えられる理由は二つ。偽物は元々盲目だったか。それとも、怪我を負ったジャッジがかつての仲間であると、若者に思わせる為か。
 後者だとすれば、あの男が盲目だという根本の部分すら怪しく感じて来る。
 若者は事件以降、あらゆる怪我や不幸を想像しただろう。更に、写真のジャッジは顔を押さえていた。盲目のフリさえすれば、事故に遭ったと安易に刷り込ませられるのではないか。ポーションやケアルがあるから、傷では駄目だ。その点、視力ならば、魔法での回復は不可能。仮病で用いるには、うってつけなのでは。
 盲目の男は一体何を企んでいるのだろう。殴り合いの末、若者は男に引き摺られて行ったと言っていた。食事すら与えられずに監禁されているのではないか。
 そこまで考えて、店主は、はて、と、首を捻った。どうもしっくり来ない。カウンターで肩を並べていた二人。無言ではあったが、あの二人の間に流れていた空気は、それほど冷ややかなものだったろうか。
 店主はベッドから身を起こした。気配がしたのだ。肌寒さに凍える身体を狭め、窓を開ける。漆黒の空からはらはらと白い粒が降り注いでいた。雪には独特の気配がある。店主は、出所不明の興奮と期待に胸を震わせ、眠りについた。
 今夜、二人が訪れる。

 雪が降ると、本当に人っこ一人見かけなくなるのだ。この街は。
店主は時間通りに店を開き、暖炉に沢山の薪をくべた。何時間か経っただろうが、早く店を閉めようとは思わなかった。人の勘というものは、時折見事なほど根拠のない自信を齎すものだ。
 閉店間際の頃だろうか。店主の感じた予感通り、見慣れた客が店に現れた。
盲目の男だ。
「寒かったでしょう。店内は温めてありますよ。ささ、中へお入りください」
 店主が誘導すると、盲目の男はカウンターの定位置に腰を落ち着けた。椅子ひとつすら間違わない。まるで目が見えているかの様な的確さだ。
「ビールで宜しいですか?」
「ああ。頼む」
 盲目の男はゆっくりと頷き、フードを取った。額の傷。その横に、短く爪で掻いた跡がある。彼が若者と殴り合いをしたというのは、どうやら本当らしい。
「お待たせいたしました」
 待ちわびたのはこちらですけれども。店主はそっと喉の奥で付け加える。盲目の男がジョッキに唇をつけ、泡の乗ったビールを口に含む。最後のひと口を飲み干すまで、店主は仕事もせずに盲目の男を見ていた。多くの謎を抱える物語の続きが、知りたくて仕方がないのだ。
 空のジョッキがカウンターに置かれると、店主は慌しく口を開いた。
「ご無沙汰でしたね」
 若者を襲っただろ、何て不意打ちで責め立てたりはしない。警戒されてしまっては、話を聞き出しにくくなると思ったからだ。
「お元気でしたか」
 盲目の男は静かに微笑み、軽めのカクテルをオーダーした。 
 ここで店主は小さく深呼吸をする。なるべく軽い口調で問い詰めるのだ。敵意を感じられては、何も聞き出すことができない。
「失礼なお話かも知れませんが。宜しいですか」
 急にせっせと手仕事を始めたのは不自然だろうか。どう取ったかは分からないが、盲目の男は変わらず穏やかな調子で「なんだろうか」と眉を丸める。
「……。本当は、目、見えてるのではありませんか」
 盲目はカクテルを運ぶ手を止め、店主の方向に顔をやった。
 怪しまれただろうか。店主は慌てて誤魔化しの台詞を探す。
「あ、いえ、済みません。いつも間違わずにその席をお選びになるものだから」
 盲目の男はゆるゆると首を振った。それは、謝ったことに対してなのか、目が見えているのではないかという問いに対してなのか。
 店主が理解する間もなく、盲目の男は話し始めた。
「役立たずに成り下がらないと、追い返されてしまうからね」
「追い返される?」
「そう。彼はプライドが高い。彼の為に戻ったと思われた時点で、追い返されてしまう。私が勝手にそうしているだけだとしても。……視力を失ったと伝えた今も、まだ口を利いてくれないのだ」
「驚いた。では、追い返されないように、自分から盲目になったのですか」
 正直な所、この時点で店主はまだ、この男の目は見えているという仮説を捨ててはいない。しかし、過剰な追求は無駄だと分かった。盲目の男は、何に対してかも曖昧なタイミングで首を振ったのだ。イエスともノーとも言わなかった。恐らく、わざとそうしたのだろう。
 自ら視力を捨てる。長期に渡って盲目のふりをする。どちらにしても、ある程度の覚悟がなくては出来ないという事だけは確かだ。
 盲目の男が何の為に若者に付きまとっているか、賞金首として金でも積まれているのか何なのかは知らないが、少々やり方が回りくどいのではないか。
 店主がまじまじ見詰めていると、空気で悟ったのか、盲目の男は一見冷淡に見える顔を、ふわりと和らげた。
「私は欲望に忠実な人間だ。目的の為ならば手段は選ばないし、妨げるだけのプライドも持ち合わせていない」
「目的というのは……」
 若者を陥れるものなのか。つい数分前の店主なら、そうも思っただろう。しかし今は。
 盲目の男の裏に、悪意はない。そう感じていた。殴り合って男の方が強いのなら、わざわざ目が見えないふりをする理由がない。何より、目を閉じて微笑む男に、温かい、零れ日の様な空気を感じ取ったからだ。
 やがて盲目の男は、ゆっくりと瞼を開き、噛みしめるように言う。
「私は、その為に生まれてきたんだよ」
 それは、独り言に似た。言葉を知らない幼子に言い聞かせる、母親のような口調だった。
「さて、そろそろお暇しよう」
「お待ちにならないのですか?」
「……恐らく、私がここに居る時には現れない」
「思い切り避けられてるじゃないですか」
「言わないでくれ。気づかないふりをしているのだ」
「そういうのは気にしないお人柄だとばかり」
「まさか。私とて落ち込む時もある」
「それは失礼いたしました」
「君のその会釈」
「え?」
 会釈をした覚えはなかったが、癖になってしまっているのだろう。店主は「?」と盲目の男を見る。男はクスクスと笑い、言った。
「軍に入ったばかりの頃を思い出すよ」
「敬礼ではなく?」
「上下関係が厳しいのでな。下積み期間は、訓練より会釈のしすぎで、腰を痛めたものだ」
「ああ! 分かりますそれ! 私、この店を開く前はホテルマンをやっていたんです!」
 初めて客に会釈を褒められた嬉しさの余り、店主はあからさまに声のトーンを上げて、満面の笑顔を浮かべた。盲目の男は黙って頷き、店を出て行った。

 盲目の男が去って間もなく、店は閉店の時刻を迎えた。店主は残った薪を暖炉に放り込み、『あと少し待ってみる』への制限時間を決めた。
 コツコツと時を刻む時計の音が、やけにゆっくりと聞こえてきた。薪は音を立てて崩れ、炭へと変わる。待てども若者は現れない。
 仕方がない。今日はもう諦めようか。看板の灯りを落とそうとドアノブに手をかけたその時、ドアは力を入れる前に、すっと開いた。
 丁度同じタイミングで開けようとしていたのだろう。ドアの向こう側には、若者の姿があった。口の端に痣があるが、特にやつれた様子はない。まつ毛に一粒の雪を乗せ、僅かに首を傾げている。
「閉店時間は過ぎてるよな?」
「いえいえかまいません、ご無事で何よりです!」
 店主は咄嗟に若者の手を引いた。若者は眠そうに垂れた目を、やんわりと細め、「さすが酒場のマスターだな。耳が早い」と、意地の悪い笑みを浮かべた。
 ああ、しまった。店主は目を泳がせて頭を掻く。
「いえ。昨夜耳にしたばかりです」
 噂話に耳を傾ける酒場のマスターなんて、感じの良いものではない。
 しょっぱなの失敗に心臓をバクバクと高鳴らせながらも、店主は丁寧にビールを注いだ。今回はちゃんと若者のオーダーを受けてからジョッキを取り出したのだが、それもどこか脚本の読み合わせでもしている様な雰囲気で、居心地が悪い。
 ちらりとでも見ようものなら、若者と目があってしまいそうで、店主はひたすら食器の手入れに励んでいた。
「何か気になることでも?」
 先に口を開いたのは、若者だった。店主の様子を気遣っての言葉、とも取れなくはないが、若者の性格から考えて、その逆なのだろう。タイミングを計って自分から切り出すよりも、先手を取られた時の方が、ボロが出やすい。
 店主は速いリズムを打つ心臓を必死に沈め、先程盲目の男に言った台詞をそのまま口にした。
「失礼なお話かも知れませんが。宜しいですか」
 若者は、僅かに顎を上げて横に頭を傾ける。角度によって色を変える瞳は、何もかもを見透かしてしまいそうだ
 どれだけ巧妙に聞き出そうと意気込んでも、この目の前では無意味だろう。店主は覚悟を決めた。それとほぼ同時に、若者がフムと鼻を鳴らす。
 ほら。やはり全て見透かされている。
 店主は額の冷や汗も拭わずに、話し始めた。
「盲目のお客様と貴方は、かつてのお仲間と聞きました」
「まあ、そうだな」
「……偽物なのでは?」
 ポケットから新聞の切り抜きを取り出して、カウンターに置いた。若者はそれを手に取る。
 若者が切り抜き眺めている間、店主は落ち着きなく、右足、左足、と、その場で体重移動を繰り返していた。
 これで良かったのだろうか。盲目の男が偽物だと知ったら、若者はどんな反応をするのだろう。いや、それよりも、盲目の男の目的を、潰してしまうことになるのではないか。
 これでもかと間を空けて、若者は記事から目を離した。おかげで店主は、汗のかき過ぎで脱水症状を起こしてしまいそうになった。
 店主の表情が余程愉快なのか、若者はクスクスと笑いながら、切り抜きをカウンター越しに押し返す。
「残念なことに、あの男は偽物じゃない」
「え! 本当にですか?」
「ああ。一度寝た奴の身体は忘れない性質でね」
「……はい?」
「あはは、冗談だ。本物と偽物の区別もつかない様じゃ、商売上がったりだろ?」
 取りあえず、案の定、若者は盗賊なのだということが分かった。しかしその他が予想外すぎて、何の言葉も見つからない。予め用意しておいたはずの台詞も全て吹っ飛んでしまった。
 地味にパニックを起こす店主を差し置き、若者は頬杖をついて薄い唇を尖らせる。
「目が見えなくなりゃ、しょうがねーなって言うとでも思ってんのかね」
「い、言わないんですか?」
「言わないさ。しゃくだからな。口も利いてやらない」
「……全然口を利いてくれないと嘆いていらっしゃいましたよ」
 恐々と言った。本人の居ない所で盲目の男と噂話をしていたと知られたら、不愉快な思いをさせるのでは、と思った。
 けれど、若者は頬杖をついたままのポーズで目を丸くして、「良い気味だ」と笑った。
 それは、悪戯を仕掛けて楽しむ子供のようで。
 盲目の男に嫌悪感を抱いている訳ではない。そう再確認をした。いや、そもそも嫌悪感を抱いているはずがない。だって三年だ。三年も、男の幸福を願い続けていたのだ。
 不要なわけがない。求めていないわけがない。
 店主はそれ以上の詮索を止めた。盲目の男は本当に目が見えないのか。そもそも本物なのか。何一つ納得の行く答えは聞き出せなかったが、恐らくこの物語は、黒い野望のうずめくミステリーなどではない。
 馬鹿馬鹿しくて暖かい、意地っぱり同志の追いかけっこ遊びだ。
「さて」
「もうお帰りですか」
 若者が席を立ち、店主は忙しなく顔を上げる。
「妙な時間に邪魔して悪かったな。今日は、聞きたいことがあっただけなんだ」
「聞きたいこと……ですか?」
「何て名前だったかと思って」
「?」
 若者は、どう言おうかと少し考えた後、蓄音機を指差した。
 その長い指を、そのままタクトの様に振り、口ずさみ始める。いつか店で流したクラシックのメロディだった。
 彼が歌を口ずさんだら、どんな風だろう。そんな想像したことがあった。
 別段上手いわけではない。けれど。店主は、えもいわれぬ感動に、全身が総毛立つのを感じた。どんな生き方をして、どれだけ世界を愛したら、こんなに優しい音が生まれるのだろう。
 店主は震える声で答えた。
「ヘンデルのオンブラ・マイ・フです」
「……そうか。蓄音機のノイズが良い味出してたな」
「そ、そう思いますか!」
 興奮に、眩暈すら覚えた。誰にも褒められた事のない会釈。誰にも褒められた事のない蓄音機。
 若者は、チャーミングとキザの間辺りでヒラヒラと手を振って、店主に背を向けた。


 その夜以降、二人が店に訪れることはなかった。おかげで真相は闇の中。分かった事と言えば、盲目の男が軍の人間であったということと、若者は盗賊の類だったということ位だ。
 盲目の男の正体に関しては。
『帝都なら、すっごい小さい飛行艇があっても不思議じゃないかも。それなら街の裏の林に降りても気づかれないわ。一日で帝都から街に飛んで来れる』
『コピーロボットじゃねーの? 案外ドラクロあたりが開発してたりさ!』
『そっくりの双子が居れば可能なんじゃないかしら!』
『若者の命を狙う賞金稼ぎだよそりゃ』
『分身ってことは? どちらか片方が、幽体離脱した魂とか』
 客から様々な意見を得たが、今となっては、どれもただの憶測に過ぎない。
 一時的に、ダルマスカ復興の直前、あの二人はダルマスカの王女と旅をしていた、という噂が流れたが、それを確かめる術もない。
 幾ら考えても、正しい答えは見つからないのだ。何故なら店主は、二人が立ち寄った店のマスター、という、ただのエキストラに過ぎないのだから。

 一年が経った。二年が経った。三年が経った。若者の噂をする者は、もうこの街には居ない。
 ひょっとしたら、盲目の男だけではなく、あの若者すらも幻だったのではないか。そんな気分になってしまう。
 しかし、店主は、雪の日も休まず店を開けた。誰も居ない店内で、カウンターに二つ、ジョッキを置く。店にはノイズ交じりの音楽が満ちている。会話は元々なかった。若者はプライドが高いそうだから。
 雪の作る静寂と、暖炉の薪がはじける音。ノイズの入った音楽。それらに包まれると、店主は思い出す。無言の、しかしどこか暖かな空間。しばしそれに酔いしれてから、葉巻に火を付け、あの若者の様に口ずさむのだ。

 ――これ程までに、愛おしいと思える木陰は、未だかつてなかった。未だかつてなかった――

 せめて今頃は、言葉くらい交わして貰えていますように、などと一人静かに笑いながら。